一切不曾发生,直至它被描述

一切都是命運╱一切都是煙雲╱一切都是沒有結局的開始╱一切都是稍縱即逝的追尋╱一切歡樂都沒有微笑╱一切苦難都沒有淚痕╱一切語言都是重複╱一切交往都是初逢╱一切愛情都在心裏╱一切往事都在夢中╱一切希望都帶有注釋╱一切信仰都帶有呻吟╱一切爆發都有片刻的寧靜╱一切死亡都有冗長的回聲。(北岛)


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chemcat @ 2007-03-25 10:27

来源:http://mypaper.pchome.com.tw/news/liulanggou/3/1281991713/20070324002428/#centerFlag

妳/你知道宮崎駿的有些作品跟漢生病患者和其療養院(全生園)有密切的關聯嗎?以後我在這裡介紹魔法公主和神隱少女兩個故事跟漢生病療養院的關係。

以下文章是宮崎駿談對全省園的居民和那個空間的看法,我讀了這篇文章會覺得,他對全生園的感受跟我對樂生的感受相當相似。

很棒,有人已經把它翻譯了,我早上收到一封信,以下貼中譯版和原文!

※※※※

宮崎駿是IDEA JAPAN漢生病大使,日本東京全生園就是豆豆龍故事的靈感來源
樂生院本身就像是龍貓森林及魔法公主捍衛自然生態的真實宮崎駿世界

※※※※

宮崎駿的祈禱
honkwun 在 天空部落 2007-03-24 01:51:34

全生園的燈火

我常在禮拜天的時候散步。走一走大概不要兩三個小時的時間,就可以有遠離工作的感覺;哪怕只走個三十分鐘,也能把心思放空,然後隔天又神清氣爽地繼續回到桌子上工作。一個禮拜要是都不走路,便覺得又漫長又沉重;如果能稍微去散個步,就能持續工作下去。

       在我散步會經過的地方當中,有一道柊樹所生的樹籬,位在國立漢生病(俗稱麻瘋病)療養院──多摩全生園那裡。全生園的門戶是開放的,而且樹籬有被修剪過, 矮矮的很平易近人;可是之前我一直猶豫著到底要不要進去看看。現在大家對漢生病的了解已經跟常識差不多了,它感染力弱,也不是什麼不治之症;只是政府的隔 離政策讓偏見與恐慌深植人心,對根絕這種疾病毫無幫助,沒有任何助益可言。

       但我並沒有好好反省、覺悟,想想自己是否擁有直視這片樹籬之後的資格;純粹因為好奇而想走進去看看,這點說實在很不禮貌。

       我第一次走進全生園是在魔法公主最忙的時候。那時工作很重,又沒進展,就算散步也還是間歇性地感到不安,心想不把轉個不停的腦袋給靜一靜是不行的。就在這麼煩擾的時候,好像有某個契機指引我;在初春的慵懶午後,我突然想走到樹籬之後看看。

      一開始吸引我目光的,是並排的兩行巨大櫻樹。眼前被夕陽染黃的枝幹閃耀著光芒,樹梢上的枝芽往高高的天空伸展。 

     這是怎麼樣的一股生命力啊,我被震攝了。有種幾近於畏懼的情感困住了我,那天我因此無功而返。

     過了一個禮拜我再到全生園去,心情依然畏懼,連資料館那裡我都是屏息而入,但卻有意料之外的收穫。

     沉默之中,漢生病以及要面對它的人們的紀錄,一字一句地攤在我們眼前;其中有著人類最為高貴的情操,也有社會最愚蠢的一面。

     看到這些紀錄,與其說被走過這段歷史的人們所打動,不如說內心被他們生存的樣貌留下了印記。是怎樣的一種歡喜或笑容,能在這般苦難中存在。對於渾渾噩噩的眾生來說,恐怕沒有像全生園這樣,可以把超脫苦難的意志看得透徹的地方。

    (我感到:)不能草率地活下去。 

     就像其他經由介紹、體悟到這個道理的年輕人一樣,我的心情在看過資料之後坦率了起來,然後走出了資料館。

     從此之後,全生園對我來說就是一個很重要的地方。禮拜天散步的時候,我開始走到園裡面去。園裡總是又乾淨又安靜,裡面的人也都溫和有禮。有時參觀的訪客蠻吵雜的,我總狐疑地想,他們是不是有什麼地方傲慢了些。  

     在園內的一角,留著許多不再使用的建築物,包括病患本身的宿舍、被帶離病患身邊的小孩住的地方,或者在北条民雄的和歌──「望鄉歌」中的中小學分校,以及 圖書館。這些病患生活過的地方,照理說應該充滿著悔恨和悲哀的氛圍,卻也沒有一點可怕的感覺;站在這裡,只覺得有種嚴肅的、溫暖的心緒湧上心頭。不管看哪 一棟建築,都有這種好的感觸。

      我想,這些從昭和時代初期建好的這些建築,都保存地相當好。同時代的建築,在東京幾乎看不到了。聽說這些都是居民當中的工匠所建造的,就連用石頭鋪設的道 路,也都是為了受泥濘所苦的人辛苦做的,是大家齊心協力才鋪好的。能保存這些建築,實在是件好事。不管就公衛史或建築史來說,它們都具有很深刻的意義。

       每當深夜的時候,在從工作地點回家的路上,我都可以從柊樹形成的樹籬中間,看到全生園的燈火。為此我常感覺到一種深深的眷戀;就像電影散場時,自己覺得當下身在一處聖地一般。

      現在日本政府好不容易對這些病患認了錯、謝罪,能這樣真的很好。我曾遙想過,這些除了病患之外別無身份的人,在被親人、子女和朋友遺棄的情況下,還能堅強地不發一語時──那私下偷偷落淚的情景。

宮崎 駿の祈り

全生園の灯

日曜日は歩くことにしている。歩くといっても、二、三時間の散歩に過ぎないのだが、仕事と距離をとるにはいい。三十分も歩くと、いつの間にか頭がカラッ ポになっていく。その効果は、次の日机に向かったとたんはっきりした。歩かなかった週は長く重く、歩けば週の中頃まではなんとか持ちこたえられた。

自分の散歩コースの途中に、柊(ひいらぎ)の生け垣にかこまれた場所がある。ハンセン病療養所の国立多摩全生園である。門は既に開放され、柊の生け垣は 低く刈りそろえられていたが、僕は中に入るのをためらっていた。ハンセン病については常識程度に知っていた。感染力はとても弱く、もはや不治でもなく、政 府の患者隔離政策は世間に恐怖と偏見を植え付けただけで、病気の根絶にはまったく寄与しなかったことなど。
しかし、生け垣の中を直視する覚悟と資格が自分にあるとは思えなかった。好奇の対象にするのは無礼すぎる。
僕がはじめて全生園に足を踏み入れたのは、「もののけ姫」の最中だった。仕事が重く、はかどらず、歩いても間歇的に不安がつきあげて来て、頭は堂々めぐりをやめようとしない。何がきっかけだったのか、僕は突然思い立って、早春のおそい午後に生け垣の中へ入っていった。
最初に目をひかれたのは、巨きな桜の並木だった。幹は西陽(にしび)に染まって輝き。芽吹き前の梢ははるか高く空に展(ひろ)がっていた。
なんという生命力だろう。僕は圧倒され、畏(おそ)れに近い感情におそわれて、その日はそれだけで引き返してしまった。
次の週も僕はそこへ行った。資料館にも息をひそめて入った。予想をこえていた。
沈黙の中に、ハンセン病と向きあった人々の記録がつづられている。究極の人間の高貴さと共に、社会の愚かさもあわせてそこにあった。
何より心を打たれたのは、たしかに生きた人々の営みがしるされていることだった。どんな苦しみの中にも、喜びや笑いも又あるのだ。曖昧になりがちな人間の生が、これほどくっきりと見える場所はない。
おろそかに生きてはならない。
先達に諭された若者のように、素直な気持ちになって僕は資料館を出た。

それから、全生園は僕の大切な場所のひとつになった。日曜の度に園内を歩いた。そこはいつも清潔で静かで、住む人々は皆おだやかで慎ましやかだった。外から訪れる人達の方がさわがしく、どこか傲慢な感じがしたのは僕の思い過ごしかもしれない。
敷地の一角に、使われなくなった建物達が遺されている。入園者の宿舎、親からひき離された子供達」の少年少女宿舎。北条民雄の短歌「望郷歌」の舞台と なった分教場、図書館。人々の無念と悲しみがしみ込んでいるはずなのに、少しもおそろしい感じがしない。その前に立つと、厳粛なあたたかい想いが湧き出て 来る。どれもいい建物なのだ。

昭和のはじめに建てられたのに、よく残ってくれたと思う。同時代の建物は、東京からほとんど姿を消してしまった。聞けば入園者の大工さん達が建てたのだ という。しっかりした敷石も、ぬかるみに苦しむ人のために、みんなで力を合わせて敷いたのだった。この建物達が、ここで保存されたらどんなにかいいだろ う。感染症の歴史のためにも、建築史の上からも、とても意味があると思う。
深夜、仕事からの帰り途に、柊の隙間に全生園の灯が見えると、僕は無性になつかしさを感じるようになっていった。映画が終わる頃、そこは自分にとって、一種の聖地になっていたのだ。

日本国政府が、ようやく患者さん達に謝罪した。僕はよかったと思った。そして、患者だった人々だけでなく、親や子や、友を連れ去られ沈黙を強いられた人々が、日本のあちこちで秘かに流している涙を想った。

     宮崎 駿 : 「全生園の灯」 : 朝日新聞 : 2002年4月20日朝刊

     以下文章是一位高中老師說明神隱少女跟療養所的關係,不好意思,先放原文:

     一粒の麦として平松 讓二(同志社女子中高聖書科教諭)

千と千尋の神隠し」とハンセン病療養所との関係
「トンネルの向こうは不思議の町だった。ありえない場所があった。ありえない事が起こった。人間の世界のすぐ脇にありながら、人間の目には決して見えな い世界。千尋が迷い込んだのは、そんな人間が入ってはいけない世界。驚きと不思議の町で千尋が見るのは、大きな無力感と小さな希望。」というキャッチフ レーズで始まる映画があります。
主人公の千尋(本名:荻野千尋)は、10才の少女で、ごく普通の現代っ子です。両親と一緒に都会から郊外に引っ越す途中、一家は不思議な空間に迷い込み ます。その空間は、実は人間が来てはいけない世界でした。そこには、日本に棲む八百万(やおよろず)の神々たちが疲れを癒すためにやって来る湯屋がありま した。湯屋は湯婆婆という魔女が支配しています。この世界では人間は、消えてしまうか動物になるかしかありません。生き残るために、また豚にされてしまっ た両親を救うために、千尋は「」という名前で、湯屋で働き始めます。一生懸命働く過程で様々な経験をして、千尋の中の「生きる力」が目覚め始めます。
この話は、映画監督の宮崎駿によって描かれました。宮崎監督の映画は不思議です。どの作品を見ても、そこに大きなメッセージが隠されています。実はこの 映画「千と千尋の神隠し」は、宮崎監督がよく散歩に出かけるある場所が舞台となっているのです。それが、東京都東村山市にある国立ハンセン病療養所多磨全 生園です。多磨全生園は甲子園球場の何倍もある広大な敷地にあり、そこには宮崎監督に映画「トトロ」の森をイメージさせた大きな森が存在しています。今で は多くの一般市民が散歩などで行き交う療養所ですが、以前はまったく違いました。そこは死後の世界でした。
宮崎駿監督が描いたハンセン病療養所
現在、日本全国に13の国立療養所があります。そこはこの日本の社会では生きることを許されない、ハンセン病を病んだ人々が集められた死後の世界でし た。彼らは療養所で人間扱いされることなく、まさに「座敷豚」とさげすまれて呼ばれていたのです。だから、千尋のお父さんとお母さんは「」になったので しょうか。療養所ではみんな自分の名前を奪われます。あたりまえのように、偽名を名乗らされるのです。本名を名乗ると家族に迷惑をかけてしまう、そんなこ とをあたりまえのように言われ、自分の大切にしてきた本名を奪われます。千尋も「千」と名乗りましたね。
まだまだ不思議なところがあります。療養所の全ての患者は働かなくては生きていくことができないのです。全員が強制労働をさせられるのです。それが原因 となって、多くの患者が命を落としていったといいます。「千」も湯屋で働かされましたね。働かないと、そこで生きてゆく資格がないからです。そこには不思 議な人たち(生き物)がいました。顔のない人、手が6本もある人(釜じい)、蛙男(青蛙)、みんな姿が変わっていくのです。そして、人間でありながら人間 として認めてもらえない、死んだも同然の死後の世界があるのです。それが、日本のハンセン病療養所の現実です。
私自身、そんな多磨全生園と関わりを持つようになって今年で9年になります。そして、毎年同志社女子高校の生徒たちを多磨全生園に連れて行くようになって、今年で6年目になります。
さて、そんなハンセン病を患っている人々と長く関わってきた同志社女子部の先輩がいます。その人の存在を知らないまま同志社女子大学を卒業してしまうこ とは、とても残念なことです。その人物とは、井深八重さんです。同志社女子部130周年を記念するこの年、この卒業生の思いに心を向けたいと思います。

文章來源:
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/campus_info/chapel/chapel130/01.html


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